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「尾張はもちろん丸河建築㈲のルーツである岐阜でも仕事をさせてもらっています!」

ルーツ

私の祖父、健一(写真)は、植林、下草刈り、林業の仕事をしていましたが、42歳で他界しました。

その祖父の息子である私の父親(当社初代社長)、河合實は昭和8年、岐阜県郡上郡美並村(現、郡上市美並町)に生まれました。郡上郡美並村は岐阜市から車で約一時間、郡上おどりや水の町として知られる郡上八幡のすぐ手前にある普段はあまり目立たない、緑の山に囲まれ、清流・長良川が流れる静かで美しい村でした。

昭和初期のこの時代、7人兄弟で貧しい生活をしていた父は早く自立して一人前になりたいと強く願い、15歳の時にリュック1つ背負ってここ尾張の地に叔父を頼って来ました。そして大工小僧として一生懸命修行をしながら、独立するための技術を身につけていきました。やがて父はわずかな土地を買い、昼間は働き、夜はパンをかじりながら自分の家を建てました。小屋のような小さな家でしたが、完成した時には涙が出たそうです。

その後も父は並々ならぬ努力を続け、現在のこの地で建築業を創業しました。OB客様のお宅を訪ねると「お父さん元気かね~?」とよく聞かれます。“自分の衣食が足りたら人のために”をモットーに家造りをしてきた父は、お客様にとって単に「家を建ててくれた大工さん」というだけではないようです。二代目である私はリュック1つから頑張ってきた父のこれまでの努力と地域の人への思いを大切に、仕事をさせていただいております。

稲沢市

 

さて、私は学校で建築の勉強をした後、すぐ家業を手伝ったわけではなく、稲沢市の設計事務所に就職しました。そこでは、木造建築の申請業務のために稲沢市の端から端まで毎日かけずりまわっていました。当時関わったお客様とは今でもお付き合いが続き、新築やリフォームをさせていただいております。当時二十歳そこそこの私でしたが、信頼してくださり、いつまでも頼ってくださることに感謝をしております。

「その土地に合った家造りの大切さ」

 

私は、一宮市の公認耐震診断員としての業務もしております。この東海地区は、1959年に伊勢湾台風の被害があった地域です。その教訓から屋根に土を重くのせ、構造材に太いものを使う習慣がありました。そのため、構造材の接続が弱いのと、昔はこの一帯は湖だったので、家が少し傾き、沈下していることが多いです。自然災害は台風だけではないし、東海地震がいつ起こってもおかしくないという時期にきている、そしてそもそも屋根を重くすることや構造材に太いものを使うことはいいことなのだろうか?と疑問に思い、自分なりの方法を編み出し、確立してきました。(くわしくはホームページ上では公開できない情報もありますので、お問い合わせいただければ個別にお答えさせていただきます。)

「家」というのはもちろんデザインも大切ですが、一番大切なのは家族が快適に安全に暮らせることではないかと思います。そしてそのためにはその土地や風土にあった方法で建てることが絶対条件なのです。

「家を建てることはスタートです」

 

丸河建築の初代社長である私の父は現在は引退し、のんびり過ごしています。時々OB客様から「引き戸が重たくなったから見てもらえんかね~?」などと電話がかかってきて、父は修理に伺っています。そんな様子を見ていると、つくづく家というものは建てて終わりではなく、家を建てることがスタートでそれから一生お客様との関係が続いていくものだと感じます。当社には口が達者な営業マンがいるわけでもなく、豪華な展示場があるわけでもありません。営業マンや展示場にお客様の大切なお金を使うのはもったいないからです。少ない社員と協力業者で知恵を出し合いながら、少しでもお客様にとっていい家造りができるよう努力しています。これも父がモットーにしてきた“自分の衣食が足りたら人のために”が根底にあるからです。

余談になりますが、最近よく地元のウォーキングに参加しています。地域の人とふれあうことで、人々の思いを知り、また地元の史跡や地形の変動などを目で見て聞いて学んでいます。地域の連帯感が希薄になっているといわれる今、地元に密着した木造住宅専門店としてこの地域の方々と共に生きていくという気持ちで仕事をしています。

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